谷江長の告別の辞

日本毛織加古川工場 谷江長の告別の辞
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谷江長の日本毛織㈱加古川工場から、本社の常務取締役で総務部長に、栄転時の「告別の辞」の資料原稿は大正7年のモノで古く、大変読みずらいので、新たに編集校正したものを発表する事にしました。

又、読み上げ動画(YouTube)をも出す事にしました。ご覧ください。

※本来は男性声ですが、女性声しか利用出来ずで女性声です。

表紙

谷江長の告別の辞原本表紙

告別の辞-1

告別の辞-1ページ

↑告別の辞の原本です。

下記が編集校正した新しい『告別の辞』で、7ページあります。

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去る四日、皆様にお集まりを願って、 お別れの挨拶をしましたが、
後ろの方に並んでおられた方々に、声が通じなかった様子でもあり、
また部屋が狭いと言うために、集まることのできなかった方も沢山あるから、
ここにあらかたを、かい摘まんで印刷に付しました次第であります。
この度、当会社が毛糸紡績会社を合併しましたついて、
職員の配置や組織制度が大分変わりまして、当工場では西松主任が工場の支配人となられ、
私は当会社の本店詰めになって、総務という職務に就くことになりました。
私は随分と長らくの間当工場に諸君と一緒に仕事をしておったので、
今回ここを去るに臨んで一言別れの挨拶をしたい、
と思ってお集まりを願った訳であります 。
さて、私が初め加古川に参りましたのは明治30年の7月で、
その当時はこの会社の資本金はわずか50万円、
工場は今の第一工場の半分くらいなのが一つ、誠に寂しげに構内の真ん中に建ててあったので、
その時の職工は250人位でありました。しかるに、今20年後の今日はどうであるかといえば、
資本金は1千万円に及び、現在工場は、東京、岐阜、姫路、加古川の4箇所、外に印南工場を
新たに建設することになりまして、職員職工総数7千を超えるという有様、
加古川工場のみでも男女の実数に3500人内外であります 。
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傷のない良い品が出来、また出来高も沢山になり、上等の品が出来上がるから、値が高く売れて評判が良い、
そうなれば、会社に勤めている人に給料を高く払う事ができる。
すなわち、各人が親切に仕事をすれば、非常に良好な結果をもたらすものである。
私は話が下手で、自分の意中を表わす事の、不十分な感がございますが、
飾り気のない実際をお話する訳なので、したがって、古代虚飾の言葉により、
人気取り演説のごとく、ならざる事をご承知ください。
ここに、親切の有無によって生じる利害は、いかに顕著であるかを、実際に証明する事実がある。
それは、シナの工場に経営者として、多年従事しておった日本の人の話を、申し上げますが、
シナ人の工賃は、すこぶる安価でありまして、我々日本人ならば七拾八銭も、生活費に要するシナの土地にあって、
シナ人、男工はわずかに、日給弐拾五銭か参拾銭で、沢山の人が勤めて居る。
彼らの体格は、概して日本人よりも大きく力もあり、仕事も本当にする気があれば、立派なものであるが、
悲しいかな工場において、多人数集まって仕事をする時は、己一人働かなくてもつまらないなどと考えて、
仕事に身が入らぬ、少し親切けが、無いのみならず、工場の、金物小道具を持ち出し、
或いは又上役の姿の見えぬ 場合でもあろうものなら、すぐに、もの影に潜み、賭博を開帳する。
こういう風であるから、所によっては、常に鞭を持って追ってうち殴って、受け持ちにつかしめると云うような、
あんばいで、我ら日本人とは実に、大分の差があります。
すなわち、同じ一人前の人間でありながら、一般の心意気が悪いから 日本人の三分の一の価値しかない。
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これは自業自得であると云え、実につまらぬ事である。
これに反し、西洋人は己の仕事に対して、すこぶる親切であって、
残念ながら、日本人は中々彼らに及ばぬように思う。
諸君の中には先年来、当工場に幾人もの西洋人がおったから、
その仕事のしぶりを、承知の方は沢山あると思うが、
私は二~三回、彼の地に参りまして、親しく工場をも視察しましたが、
作業時間中は仕事外の談話は、一切する人はありませぬ、ただ一心不乱に、
己の仕事に励んでわき目もふらずに、精出して行っております。
それですから、私が仕事をしている人に、何か尋ねても返事もせず、自分の仕事をしておる人が、
毎度ありました。ある時は、私は便宜を得て、成型、一職工に質問を発して、
「その糸は三子か四子かと申しましたら」撚りを戻し、その部分を切り取り結び直すして、
せっせと自分の仕事を始めましたので、あまり不審に堪えずして、
「何故に結び直しや」と質問をしたら、「一度、撚りを戻せし部分は、強力減じて製品上に、害を及ぼすからだ」と
申しました。これが、果たして吉となるや否やは、疑問としても、この職工は瑕となるや、否やは疑問にしても、
この職工は瑕となるベくと考え、この様なる微細な点までよく留意しておる。
すなわち、仕事に親切なのであります。
かくの如きは、一例でありますが、概ねこの様な始末で仕事に対して親切なるという事は、
この一端をもってしても、推察しえられる位なので、
かくの如く、親切の結果、西洋の毛織工場では日本人の二倍半に相当する給料を、何時も支払い居るのである。
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かくの如き、高価な給料を払いながら、舶来毛糸又はラシャは、日本迄の運賃を払い、
その上に、日本税関において、それぞれ何程かの輸入税を賦課され、
それを原価に加えて、尚かつ、舶来糸は織り易いとか舶来ラシャは、傷がない出来が良いと、言うので、
売れ行くのは、全く彼の国における工場従事者の、我ら日本人よりも仕事に親切げが多いからであります。
一口に、日本人では上等舶来と申しますが、何品に限らず、値が少し高くても、西洋の品はごまかしが少ない物が、
親切に出来ていると信用します。
すなわちシナ人と日本人と、隔たりがあるが如くに、西洋人と日本人とには、まだそれだけ親切という点において、
隔たりがあると思われます。
我が工場において、皆様、どうぞこの事について考えてもらって、親切の 一語をお守りくださって、
仕事をして下さるならば、必ずや、我が内地へ外国品の輸入を防ぎ、皆様に支払う報酬待遇においても、
漸次、西洋と同等にする事が出来るのでありますから、
この点に常に、ご留意あらんことを、切に希望してやまぬ、所以であります。
次に、私がこの工場に居る間には、時々処罰をした人が、ありますが、
これは決してその人が憎いのではないが、かくの如くの人を、この会社に置いたならば、真面目にこの工場に勤めて居る人の、対面を損じ、又利益を削る人であると、思ってやむを得ず、譴責をし、又解雇もしました。
今、ここに集まっておられる方々は、勤続5年以上の人々で、随分と長く当工場に経験を積んでおられるので、
女工又は後進者を、指図しておられる人々でありまして、ひと角の地位立っておられるのです から、
先ずは、諸君からよい手本を示し、
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それらの人々を誘導し、善良になる感化を与えるようにして頂き、本席で、私の申し上げた事を、
機に臨み、折に触れて、お伝えあらんことを希望します。
尚、仕事上において、不親切な事をする、者があったらよく説諭し、尚、聞かないならば、
この当人が、自然にいたたまられなくなる様に、諸君から仕向けて、もらいたいです。
近時、物価は次第に高騰しまして、お金もお困りであることと、思いまして、当社におきましては、
度々、臨機昇給を行い、最近には、また特別手当として、現に割り増し支出する事を、掲示しておりました、通りであります。尚、又、私は本店に行きましても、職員の待遇上については、常に注意を払って、
種々なる施設の調査をも、怠らぬ考えであります 。
私は職員が、常に誠実義務に従事し下さるので、これまでにも、一堂に会合して、茶菓なりと、
お勧めしようかと、あるいは、一緒にどこかへ遊びに行きたいとか思いました事が、度々ありますが、
何分大勢の方々でもあり、私の受ける報酬にも限りがあるので、思うに任せなかったのであります。
この度は、本社に転任を機会として、多少ではありますが、私が倹約をして、月給の大部分を裂いて14年間かかって、
積み立てた額の、四分の一を、諸君の娯楽基金として、寄贈する事に致しました。
これには、五・六ケ条、より成る規定の様なものを、こしらえておりましたが、
要するに、どこかの基金より、生ずる利子もって、この工場に従事しておられる、諸君の娯楽費に使用して頂きたいので、
先般よりあげられた六名の委員と、工場支配人と、事務課長の二名 が幹事として、
この基金を、如何に使うかは、お定めになる事になって居ります。
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ところが、利子は今後1年を待たねば、回りできませんので、今回さらに、
八百円を追加して寄贈をする事に致しましたので、この趣旨により、
何になりと、幹事と委員の方々によって、使用方法のご相談ができましょう。
終わりに臨んで、諸君の健康と云う事について、私の考えを述べたいと思います。
ご承知の通り、昨年七月から当工場は、一週間一日の、休みとなりました。
これについては、我々は、諸君の健康と云う事に、重きを置きたいなる、
決心を持って、始めた事であって、その成績については、常に注意しておるのであります 。
すなわち、一般に工場では、一ヶ月に二回の休みとなって居る。
特に、当会社では、常に繁盛しておるが、時局依頼、一層仕事が生じ、注文があっても、
その半分も引き受けられない、有様であるから、当会社の収益から、勘定したなら、
成る丈、休みを少なくして、機械をいっぱいに、使いたいのである。
先刻、申す親切な仕事、および骨を惜しまず、働いてもらうのには、健康でなくてはならぬ。
すなわち、能力を使って、元気盛んに仕事をして、もらわねばならず、
かくのごとくには、一ヶ月二回の休みでは、不十分であるので、是非、六日働いて一日休むべきものである。
すなわち、休みも西洋の通りにしたならば、仕事も西洋の通りに進むべきものである。
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日本人は、何時迄も、西洋人に負けて居る筈の者も無い、と云う事がらからして、
日曜を休んでいる訳であるから、諸君もその心得を以って、ひと月に 二回しか休まない、
他の同業者よりも、はるかに良い品を作り、又、出来高をも減らさないように、心がけて貰いたい。
しかるして、万一、この結果が思わしくないということになれば、
またまた、前の通り一か月二度の休みに、やむを得ず逆戻りを、しなければならぬ様に、
なったならば、諸君の恥でもあり、又、会社の恥でもある。
かくのごとき理由で、日曜を休んでいるので、あるから、休日には、なるたけ家に居らないで、
山なり、海なり、良い所へ、出かけて、空気の良い所へ出かけ、新鮮な空気を吸い、
心静かに体力の回復をして、月曜の朝からは、新しく元気を持って、仕事をしてもらいたい。
さすれば、病気になる事も少なく、健康上にもすごく良いのである。
もしこれを、悪用して、家の中に居って、飲み過ぎ、食い過ぎなどして、
休日の翌日は、欠勤が多いと云うような事になれば、
それぞれ、お互いの不利益は 申すに及ばず、諸君の体は壊れてしまい、
不幸の元になることは、明らかであります。これで私の話は終わりであります。
皆さん、ご疲労の中を、長い間引き止めまして、ご迷惑でした。

 

上記の長い文章を読むのは大変なので下記の動画(音声付)を[You Tube]で『谷江長の告別の辞』を出してみました。
長い読み上げなので、ごゆっくりご覧ください。
※本来は男性声ですが、女性声しか利用出来ずで女性声(はるかさん)です。

告別の辞